有機じゃないけど無農薬 化学農薬からの脱却を促すスイスの試み
有機農業への切り替えは、農家にとってハードルの高い問題だ。スイスでは化学合成肥料を使う無農薬農法が、環境にも健康にも経営にも優しい農法として支持を広めつつある。
2021年、スイスでは「農薬」が政治的に大きく取り上げられた。スイスを100%有機農業のオアシスにするべく、化学合成農薬の使用を完全に禁止する案が6月の国民投票で有権者の賛否を問われた。結果は賛成票が39.4%と大差で否決。国民はまだ農業革命を起こす心の準備ができていなかったのだ。
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だがその一方で、静かな革命が進行していた。持続可能な農業を支援する「スイス統合生産農家協会(IPスイス)外部リンク」は2019年以来、農薬を使わずに栽培(統合生産)された小麦を通常価格に最大3割上乗せした優待価格で買い取っている。肥料の使用に制限はなく、完全な有機農法ではない。このような優待価格を提供する制度は欧州初の試みだ。制度をバックアップする国内最大のスーパーマーケット「ミグロ」は、こうして生産された小麦をプライベートブランド「テラ・スイス」として販売している。
有機栽培では、化学合成農薬や化学合成肥料の使用が禁止されている。ただし銅や流動パラフィンなど、使用が限定的に認められている非有機的な物質もある。有機認定を受けるには、農場全体がこれらの原則に従わなければならない。
無農薬とは、主に化学合成農薬を使用しないことを指す。ただし制度により、この制限を栽培中の一定期間(例えば開花後)に限定していたり、種子を化学物質でコーティングすることを認めていたりする場合もある。化学合成肥料の使用については規制がない。農場の一部だけを無農薬栽培に充てることもできる上、栽培期間が一巡した時点で中止することも可能。
スイス政府も非有機無農薬栽培を奨励する。政府は昨年、2027年までに農薬による環境負荷を半減すると表明。その目標達成に向け、有害化学物質の使用を制限し、自主的に減農薬・無農薬栽培を行う農家への直接補助金を導入した。助成額は作物によって異なり、小麦は1ヘクタール当たり650フラン(約11万2千円)、菜種は1ヘクタール当たり1400フランが支払われる。
連邦工科大学チューリヒ校(ETHZ/EPFZ)のロベルト・フィンガー教授(農業経済・政策学)は政府の補助金について「無農薬を強制するのが目的ではない。農家が納得し、消費者や納税者がそれに見合う代金を支払う意志があるなら、無農薬栽培は農家にとって1つの選択肢になる」と解説する。
IPスイスによると、スイスの小麦の総栽培面積に占める非有機無農薬農地の割合は、2022年で約15%だった。2027年には41~79%に増えると試算する。
今年発表されたある調査外部リンクでは、「無農薬食品が第3の商品カテゴリーとして導入されれば、消費者の選択肢が広がる。無農薬食品は、化学肥料や農薬を使用する慣行農業による作物よりも持続可能性が高い上、有機製品ほど価格が高くない」という結果が出た。また消費者はこのようなハイブリッド製品に対して38.3%から93.7%高い代金を支払う意志があることも判明した。同調査はドイツの消費者約600人を対象に実施された。
農薬への暴露は、様々な種類のガンや、パーキンソン病やアルツハイマー病といった神経障害の発症、そして子どもの発育障害や生殖機能障害とも関連性がある。連邦環境省環境局(BAFU/OFEV)によると、スイスの地下水中の農薬濃度が規制値の上限(1リットル当たり0.1マイクログラム)以内に収まった地点が観測地点の98%を占めた。だが農薬は、自然界で分解された後に生じる化学物質(代謝物)という形でその後何十年にもわたり環境に残留する可能性がある。これには除草剤のアトラジンやジクロベニルといった既に禁止された農薬の代謝物も含まれる。代謝物に関しては、水質監視地点の約3分の1で規制値の上限(1リットル当たり0.1マイクログラム)を超える値が検出されている。
実施上の問題
化学肥料を使ったとしても、無農薬栽培には常に収穫量減少のリスクが伴う。調査の大半は温帯地域に分布する農地で行われたため、収穫量の減少は平均約6%にとどまったが、気象や地理条件の悪い産地では、損失がそれ以上になる可能性がある。
植物保護製品メーカーのロビー団体「クロップライフ・インターナショナル」の広報担当者、バージニア・リー氏は「ある地域で農家や消費者が無農薬栽培を運営していけるなら、それは素晴らしいことだ。だが害虫の猛威にさらされ、作物が一夜にして壊滅的な被害を受けることもある熱帯地域では状況が異なる」と言う。
そして利用可能な土地でできるだけ多くの食料を持続的に栽培することに焦点を当てるべきだとし、それぞれの農地の気候帯に適した生産性・気候・生物多様性のバランスを見つける必要性を強調した。
スイスの農薬大手シンジェンタも完全に農薬を排除する必要はないとした。同社はクロップライフ・インターナショナルのメンバーでもある多国籍企業だ。
同社で植物保護剤の国際取引を担当するイオアナ・チュードル氏は「農薬の効率を上げるため、化学業界では多くの技術革新が行われてきた。1ヘクタール当たりの使用量は、キログラム単位からグラム単位に削減された。また農薬散布技術の向上も使用量の削減に貢献している」と指摘する。
一方、予想される現実問題を考えると、なかなか無農薬栽培への移行に踏み切れないでいる農家も多い。
スイス農家組合のスポークスマン、サンドラ・ヘルフェンシュタイン氏は「無農薬栽培は理論的には興味深いが、徹底して実施するには幾つかの問題点がある」と話す。「例えば、農地に発生するあらゆる病害虫に効く生物的防除法は存在しない。これが農作物の有機農業が軌道に乗らない理由だ。施肥は、農地において優先順位が低い問題なのだ」
環境保護は不十分
農薬メーカーや農家が無農薬への移行に腰が重い一方で、有機農業の支持者らは、無農薬栽培では環境を十分に保護できないと訴える。
スイス有機農業研究所(FiBL)のラファエル・シャルル氏は、「肥料と農薬は別々の問題だ。肥料が環境に与える影響は、農薬とは異なる」と言う。肥料を使用すると、温室効果ガスである亜酸化窒素(N2O)が大気中に放出される。また、植物を含む多くの生物のライフサイクルに影響を与え、農業が営まれていない隣接地域の富栄養化を引き起こす。
そのため、化学合成肥料に代わる他の方法を推奨する。例えば大気中の窒素を根に固定できる植物の活用や(固定された窒素は他の農作物の肥料になる)、有機廃棄物を利用した堆肥や発酵残渣の使用が考えられる。
「確かに有機農業は収穫量が少ない。だが限りある土壌や環境、地球のことを考えれば、慣行農業はむしろ過剰生産と言えるのでは」
金がものを言う
結局のところ、無農薬農業の成否は経済支援にかかっている。無農薬の収穫量は完全有機と比べれば多いものの、慣行農業を大きく下回る。2019年~2021年にかけて実施された農場試験では、慣行農業による小麦の収穫量は1ヘクタール当たり7.5トンだったのに対し、非有機無農薬栽培では6.5トンだった。農薬を使わず機械的に雑草を駆除する場合、農家はまず機器への先行投資が必要になる。また作業頻度が高く、それに伴う労働力や農機の燃料費といったコストも発生する。
フィンガー氏は「無農薬で採算が取れるなら、農家は既にそうしているはずだ」と指摘する。「農家が脱落せずに長期的に無農薬栽培を続けられるよう促すには、産業界と政府からの支援が欠かせない」として、買い取り価格の上乗せや政府からの直接補助金制度を支持する。
欧州では慣行農業と有機農業の「中間」を取った取り組みへの意欲が高まっている。ドイツ政府は昨年から化学合成農薬を使用しない農家への補償を開始した。同国では、バーデン・ヴュルテンベルク州の穀物協同組合クライヒガウコルンなど、小規模の民間イニシアチブが無農薬栽培に取り組んでいる。またフランスのブルターニュ地方では、いくつかの協同組合が「無農薬トマト」のレーベルを立ち上げた。
一方で、2030年までの化学農薬の使用量半減を目指す欧州連合(EU)の法案が農家の抗議デモを受けて今年2月に撤回され、トップダウンの押し付けではうまくいかないことを浮き彫りにした。
シャルル氏は、「肥料や農薬でなくせる物から少しずつ減らしていき、後からシステム全体を見直すのも1つの方法だ。それが現在の政治情勢の下でうまくいく暫定的な方法なのかもしれない」と語った。
編集:Virginie Mangin/gw、英語からの翻訳:シュミット一恵、校正:ムートゥ朋子
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